偉大な傑作を、世に送り出し続けるスタジオジブリ。中でも『魔女の宅急便』は、可愛い魔女キキの揺れる思春期の心や、前向きさを取り戻すコツなどが、丁寧に描かれた傑作です。本記事では、そんな「魔女の宅急便」を制作裏話をご紹介していきます。


1989年に劇場公開された、78年以来破られていなかった劇場アニメーション興行記録を塗り替えたという業績も当時に残しています!
魔女の宅急便の隠れていたお話
プロデューサーの鈴木敏夫さんは、Tokyo FMで放送中の『鈴木敏夫のジブリ汗まみれ』で『魔女の宅急便』の制作秘話を語っていました。
キキを守る大きなリボン
当初宮崎監督はこの作品をどの様に映画を作るか悩んでおり、鈴木さんを誘って、ジブリが当時拠点としていた吉祥寺の街を、3時間も散歩したそう。やがて疲れて入った吉祥寺駅北口の喫茶店で、宮崎監督はようやく『魔女の宅急便』で何を描いたら良いか、鈴木さんに相談したのです。

そこで鈴木さんは、宮崎監督が思春期のキャラクターを描いたことがない事を指摘。宮崎監督はそれを受けてすぐ、喫茶店の紙ナプキンに大きなリボンを書いたと言います。そして「このデカイリボンが、この子を守ってるんだ。それが思春期じゃない?」と、あっという間に思春期を掴んだそう。鈴木さんは「観念を具体化するのがすごい上手い人」と宮崎監督を褒めていました。

リボンとジジに守られている女の子、それがキキなのです。宮崎監督は、映像的記憶力が良く、観念をあっという間に具体化してしまうそう。すごいですね…。
宣伝方法の転換点
『魔女の宅急便』にはヤマト運輸が協賛スポンサーとして出資しているのですが、これは有名な話。もとは「宅急便」という言葉を、ヤマト運輸が商業登録していると原作者の角野栄子さんが知らずに使っていたことが始まりです。そして映画化するにあたりジブリはヤマト運輸と正式にスポンサー契約し、『魔女の宅急便』の映像に「こころを温かくする宅急便です。」というコピーを添えたCMも作られました。加えて日本テレビも、『魔女の宅急便』でジブリに初の出資を行い、CMも大々的に放送。鈴木さんは協賛スポンサーの力の大きさを実感した、と語っていました。

当初ヤマト運輸や、スポンサーになることに難色を示しましたが、作品にも同社のマスコットキャラクターと同じ黒猫が出てくることが、前向きに検討のきっかけとなったそう。ジジのお手柄ですね!
また、ポスターは2種類発表されました。パン屋で物憂げに店番するキキと、空を飛ぶキキのポスターです。鈴木さんは空を飛んでいるポスターは、ただの魔法ものを表す様だと言います。「魔女」と「宅急便」の言葉で、観客はキキが空を飛ぶことを容易に想像できる、思春期を描くならやっぱりパン屋で店番するキキが良い、と鈴木さんは思ったそう。しかしパン屋のポスターは、関係者一同から大不評。そこで2種類のポスターが作られたのです。

そして「落ち込んだりもしたけれど私は元気です」という、糸井重里さんのキャッチコピーが添えられました。鈴木さんはこのコピーを気に入ったそうですが、これも実は関係者から不評でした。

実際の観客受けは、パン屋のポスターの方が良かったそう!今となっては、たくさんのファンに愛されていますよね。
もしかしたら『魔女の宅急便』がジブリ最後の作品だったかも
また、宮崎監督は『魔女の宅急便』制作中に、もうジブリを辞めようと言い出したことがあったそう。1つのスタジオ、そして同じスタッフで作れる映画は3本まで、それが宮崎監督の持論。それ以上は人間関係が悪くなると言うのです。この時点で、ジブリとしてもう5本も映画を制作していました。しかし鈴木さんは、面白くなってきたから辞めたくない、と大反対。そして鈴木さんの意見を宮崎監督は尊重し、ジブリの存続を決定。そしてそれを機にジブリの形態を変え、作品ごとに集めていたスタッフ達を常雇いにしたそうです。


良かった…!もし鈴木さんがジブリ解散を反対しなかったら、『魔女の宅急便』がジブリ最後の作品になっていたかもしれないのです…!
一方鈴木さんは『もののけ姫』を最後に、ジブリを辞めようと提案。すると今度は宮崎監督が大反対。「じゃあ、社会的責任はどうするの?」と、遠回しにジブリの存続を希望したそうです。
ユーミンが『魔女の宅急便』に起用された経緯
『魔女の宅急便』には、松任谷由実の『やさしさに包まれたなら』と『ルージュの伝言』が登場することが有名ですよね。実はこの曲の起用のきっかけは、鈴木さんが『魔女の宅急便』の曲決めを宮崎監督と高畑監督と行う前日に、当時の彼女とユーミンのライブに行ったことでした。鈴木さんがユーミンの起用を提案すると、2人は大賛成。そしてユーミンに『魔女の宅急便』のシナリオを送り、新曲の書き下ろしを依頼。しかしここでユーミンは、シナリオからの作曲に苦戦し、その間に高畑監督がこの2曲を選曲したそうです。鈴木さんは、この2曲がなければ映画は成り立たなかった、と後に語りました。
ちなみにユーミンは、冒頭でキキのラジオから流れる『ルージュの伝言』が、お気に入りだそう。特に、流れ出してしばらくして出会う先輩魔女に、静かに飛びたいからラジオを消して、と言われてキキが消してしまうところが良いのだとか。「このまま『ルージュの伝言』が流れ続けるのは、差し出がましいかな…」と思っているところで、丁度良く主人公が消してくれるのが完璧なのだそうです。逆に曲が印象的になる、とユーミンは嬉しそうに語りました。

さすがのユーミン…着眼点が面白いですね。加えて宮崎監督は、テープが伸びるほどアトリエでユーミンを聴くほどの大ファン!また、鈴木さんはユーミンが新曲を書き下ろそうとしていた期間12ヶ月、月1でユーミンのもとへ通ったと言います、すごい…。ちなみに、鈴木さんお気に入りのユーミンソングは『あの日に帰りたい』だそうです!
また鈴木さんは、ユーミンの楽曲を起用するにあたって、彼女の曲をたくさん聞いて研究したそう。そして「この人はなんだろう…」と思ったと言います。鈴木さん曰く、ユーミンは基本の歌い方が変わらないのに、その歌い方がどんどん鍛えられていっているのだとか。昔のファンが好きな部分をしっかり残して、同じ歌唱の中で深みを増していっているのが、恐ろしいくらいだそうです。変に上手になって個性が消えていく他の歌手とは違う、ととても感心していました。
当初の結末はケーキのシーンで終わりだった
ラストシーンはトンボのピンチをキキが救う、あまりにも有名なもの。しかし、当初宮崎監督が書いたシナリオは、キキがお客の老婦人からケーキをプレゼントされるシーンで終わっていました。それを見た鈴木さんは、ファンが求めているであろうトンボとキキのシーンを、サービスとして付け足すことを提案。しかし、スタッフ全員が大反対。すると鈴木さんは、平凡なシーンでも宮崎監督が作れば面白くなる、と全員を説得し、今のラストシーンは存在するのです。

また鈴木さんはこの時、普段は読まない映画のレヴューを、キネマ旬報で偶然読んだと言います。そこで「この映画は、ケーキを届けるシーンで終わりにすれば、もっと素晴らしい作品になっていた」と言うレヴューを見かけてしまい、少々ご立腹だったそう。しかしユーミンのお気に入りのシーンは、キキがトンボを助けるためにデッキブラシで跳ぼうとするシーンだそうで、現在のラストシーンを気に入っていると語りました。

鋭い人がいたもんだ、と鈴木さんは悔しそうに感心していました。ちなみにこの評論は、宮崎監督には見せなかったそうです。私はキキがトンボを救出するシーン、大好きだけどなあ…。
おわりに
幼い頃から何度も見ている方も多い『魔女の宅急便』ですが、制作秘話や、込められた思いを知ってから見ると、また違って見えてきませんか?宮崎監督も鈴木さんも、普通とは一味違う人間味を持っているので、作品作りの姿勢や思想が、とても興味深く面白いですよね。そして『魔女の宅急便』を見るたびに、不朽の名作とはまさにこのことだ、と思わされます。作中には、思春期で揺れ動くキキを元気付け、優しく包む言葉が溢れ、まるで懐かしい宝箱の様。そんな『魔女の宅急便』ならではの暖かいセリフ達は、何度でも見たくなってしまう最大の魅力でしょう。


どこか懐かしいレトロな雰囲気も、なんだか心が穏やかになります。どうしようもなく落ち込んでしまう、そんな時を乗り越える確かなヒントが『魔女の宅急便』にはあるのです。
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