【世紀の超大作】非現実の王国で【ヘンリー・ダーカーの不思議な世界】

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この世で1番長い物語を、ご存知ですか?それは生前は掃除夫をしていた、アメリカ人のヘンリー・ダーガー(Henry Joseph Darger, Jr.)による『非現実の王国で』という物語。それはダーガーが、60年もの歳月をかけて書いた、15,145ページの文章と多くの挿絵から成ります。

©︎2017 Artsy
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生前のダーガーは、世間から孤独で貧しい人間と思われていました。しかし彼の死後、彼の部屋から見つかった遺作達によって、そのイメージは素晴らしい芸術家へと変貌を遂げたのです。またこの作品は、世界最長でありながら、出版されていないために、ギネスには登録されないそうです。

ヘンリー・ダーガーの人生

1892年4月12日、イリノイ州シカゴ市でダーガーは誕生。その4年後に妹が生まれるが、その出産による産褥熱で母ローザは死去。そして妹はその後すぐ養子に出され、彼は妹と一度も会いませんでした。ダーガー研究家で美術史家で心理学者のジョン・M・マクレガーによりと、ローザはダーガーの前に子供を2人産んでいるそう。しかし、その2人の所在は現在も不明。そして彼は、父ダーガー・シニアと2人暮らしに。仕立て屋だった父は足が不自由ながらも、彼の面倒をよく見る優しい人物でした。そんな父の淹れるコーヒーは美味しく、彼はしばし幸せな幼少期を過ごします。また父はとても教育熱心で、ダーガーが学校に入学する前から読み書きを教え、彼は既に新聞を読むこともできたそう。それにより彼は、入学していきなり3年生に飛び級。

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ちなみに「Darger」は、いろんな人がダーガーやダージャーなどと、それぞれ別々の発音を使っていた為、正確な発音は分からないそう。

©︎2020 jackdogwelch

そして彼が8歳になる頃、父は体調を崩し、救貧院の聖オーガスティン・ホームに入居。ダーカーもカトリックの孤児院へ。施設で暮らしながら、彼は地元のスキナー公立小学校に通い始めます。教師と論争するほどの秀才でしたが、次第に口や鼻から妙な音を立てる様になり、周囲から「クレイジー」とあだ名されます。更に著しい症状が見られた為、障害児の養護施設に送られることに。そして11歳になった1904年に、リンカーン精神薄弱児施設に移動。しかし彼は特に障害があった訳ではなく、口や鼻の音はトゥレット症候群によるものだそう。そして知能の高かった彼は、敷地内の学校に通いました。そこでの規則正しい生活は彼の性に合い、居心地は悪くなかったと言います。夏になると農業を手伝い、自然に触れましたが、彼は生活環境の変化は好みませんでした。

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幼少期に父と離れずに暮らしていれば、頭の良いダーガーはもっと別の人生を歩んでいたかもしれませんね。

©︎2017 The Criterion Online Education 聖オーガスティン

そして15歳になった1908年3月1日、父が死去し彼は悲しみに暮れます。同年の8月、もう誰も自分を迎えに来ないとを悟った彼は施設を脱走。二度の失敗の後、イリノイ州中央の街ディケーターから、100kmもの距離を歩いて、父と暮らしたシカゴへ帰還。しかしその後、彼には孤独な暮らしが待ち受けていました。彼は名付け親を頼り、その紹介で聖ジョセフ病院の床拭き仕事を住み込みで始めます。その後54年間にわたり、彼は3つの病院を転々としながら、低賃金の職に就きます。更に病院中の人に、施設にいた事や、「クレイジー」と呼ばれた過去を知られてしまいます。1922年、聖ジョセフ病院を退職し、グラント病院へ移動。聖ジョセフ病院の宿舎から、ウェブスター通りのドイツ移民の夫婦が営む独身者用の下宿に越します。そして翌年、同じウェブスター通りの家の3階にある、20平方メートルの小さな貸間に移動。40年間、そこで暮らしました。

©︎2014 Messy Nessy ダーカーの暮らした部屋

33歳の時、思い立って教会に養子を申請するも却下。諦めきれず何度も申請し続けますが、通ることはありませんでした。そして73歳の時に掃除夫を解雇され、できた時間で自伝の執筆を開始。やがて年老いて階段が使えなくなると、大家のネイサン・ラーナーにカトリック系老人施設に入れてくれるように頼みます。そして1972年11月末、彼は父親と同じ、聖オーガスティン・ホームに移動。翌年4月13日に81歳で胃癌で亡くなりました。また近所の住人は、彼を人付き合いが悪く、みすぼらしいホームレスの様な人、と認識していました。ひび割れた眼鏡を絆創膏でとめ、長い軍用コートを着た老紳士。時折、ゴミを漁る姿も目撃されたそう。ゴミ集めは、本を制作する材料を集めていた様です。稀に口を開けば、天気の話しかしなかったと言います。一方で彼はとても信心深く、毎日ミサに出席していました。

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周囲の印象と異なり、実際の彼は自ら孤独を望んでいた訳では無かった様です。事実、犬を飼うことを検討するも貧しさから諦めたり、ラーナーが開いてくれた誕生日会で楽しく過ごしたりするこなど、人間味溢れる一面があったそう。

ダーガーの死後に見つかった作品達

ダーガーが老人施設に入った後、彼の住んでいたアパートの大家であるネイサン・ラーナーは、本人の許可を得て、彼の部屋を掃除することにしました。この時ダーガーは、全て捨ててしまって構わない、と言ったそう。しかしそこで偶然、彼の作品は日の目を見ることになるのです。ガーダーの部屋のトランクには、ガーダーの書いた小説と、挿絵となる絵画達が沢山入っていました。それはタイプライターで清書し、自ら装丁した7冊の本と、末清書の8冊の本から成る作品でした。

©︎2014 Messy Nessy

写真家であったラーナーは、それが芸術的価値のあるものだとすぐに分かり、保存をすることに。そしてガーダーの部屋の清掃には、隣人のデイヴィッド・ベルグランドも参加し、ガーダーの作品を見たそうです。ベルグランドが、施設で死を迎える数日前の弱ったダーガーに作品の賛辞を述べると、ダーガーは「今更もう遅い」と呟いたそうです。ラーナーは後に「ヘンリー・ダーガーの人生の最後になってようやく、私は知ったのだ。足を引きずって歩くこの老人が、本当は何者でもあったのかを」と語ったそうです。

 少女達の戦いを描いた『非現実の王国で』

正式なタイトルは『非現実の王国として知られる地における、ヴィヴィアン・ガールズの物語、子供奴隷の反乱に起因するグランデコ─アンジェリニアン戦争の嵐の物語』と言う長いもの。ちなみに英語では『The Story of the Vivian Girls, in What is Known as the Realms of the Unreal, of the Glandeco-Angelinnian War Storm, Caused by the Child Slave Rebellion』です。

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長いのは内容だけじゃ無かった…。

ストーリーは主に、せめぎ合う2つの国家「アビエニア(Abbiennia)」と、「グランデリニア(Glandelinia)」の戦いを描いています。アビエニアはキリスト教国家の良い国ですが、グランデリニアは子供に対して奴隷労働を強制し、神も信仰しない悪しき国家。このグランデリニアの悪行を止める為、アビエニアの王族の7人の少女戦士「ヴィヴィアン・シスターズ(Vivian Sisters)」は立ち上がるのです。

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ダーカーは父の影響で、幼少期から南北戦争に興味を持っていたそう。架空の世界における戦記を執筆するのも納得ですね。

一見冒険ファンタジーの様なあらすじですが、場面によっては、少女達がグランデリニアの兵士達に惨殺される残酷な殺戮も描かれています。その描写は、腹を切り開かれたり、目を抉られたり、惨憺たるもの。

 物語に反映されたダーガーの人生と思想

作品には、ダーガーの過去や信心深い思想が散見されます。まず作中に登場する「強制労働場」は、過去にダーガーが入れられていた少年施設の記憶が、元となっていると推測されています。その施設は当時、虐待や児童労働などの問題があり、子供達は毎日厳しい規則のもと、シスターの指示で重労働させられたそう。その記憶が、彼のトラウマとなって作品に反映されたのかもしれませんね。また、彼のカトリックに対する信心深さは、登場する少女達にも強く反映されています。作中には裸体の少女達が多々登場しますが、それは非常にシンプルで神聖で、汚れの無いものとして描写されているのです。

FlatSurfaceより

中には、男性器がついている少女も見受けられます。これについては、ダーガーが女性の体を知らなかったために、男性器を少女につけてしまったと言う説が有名です。しかし一方で、男性器を持っていない少女達も散見されるので、戦う少女達の勇ましさを表現するために男性器は描かれたと解釈する説も。少女達は男性と女性、両方の側面を持っていたとも読み取れるのです。

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雑誌などでポルノなどを見ることができる時代だったので、全く女性の体を知らなかったと言う説はいかがなものか、と意見は二極化。

また、作中にはアビエニアの兵のダーガー将軍が登場。彼はヴィヴィアン・シスターズを助ける善良な登場人物です。しかし一方で、同じダーガー将軍と言う名の人物が、グランデリニアの兵士として登場し、少女達を殺す場面も存在します。これはダーガー本人の二面性を描いたものだと推測されています。

©︎2014 Messy Nessy

キャラクターの中には、実際の事件から生まれたものもありました。ダーガーがシカゴで働き始めた19歳の頃に、同じシカゴでエルシー・パローベク(Elsie Paroubek)という5歳の少女が誘拐、殺害される痛ましい事件が発生しました。ダーガーはこの事件に心を痛め、事件を報じた彼女の写真入りの新聞記事を保管していましたが、後に紛失。この事件に対する心痛や写真を失った悲しみで、エルシー・パローベクをモチーフとしたアニー・アーロンバーグというキャラクターを登場させたそう。また、写真の紛失の悲しみや落胆が作品にも大きく影響し、その感情に伴った残酷なシーンが多く描かれた様です。

 ダーガーの個性的な画風

300枚を超える数のダーガーの挿絵は、独学で描かれた個性的な世界観が印象的。物語の初期は、小説だけで話が進んでゆきますが、次第にダーガーは絵を付け始めます。初期の挿絵は、雑誌の切り抜きのコラージュ。しかし彼は徐々に、雑誌の表紙や写真をカーボン紙で写し、絵を描き始めるのです。また、貧しかった彼は、画材は子供お絵かきセットを用いていたそう。

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ダーカーを、絵の才能に恵まれなかったと言っている文献をいくつか見ましたが、独学でここまで描けているのだから寧ろ才能があったのでは…と思ってしまいます…。そしてこの色合い…!お絵かきセットでこんな素敵な色合いが出せるんだ…。

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やがて、物語に関する絵を綴じた巨大画集が3冊完成。更に他の数百枚の絵の中には、3m超の巨大なものまでありました。彼は巨大な作品を描くために、切り抜きなどを撮影し大きく引き伸ばして現像していたそうです。その方法はお金がかかった為、薄給の彼は引き伸ばす素材を厳選。そして年に数回程度の現像に留めていました。

 2通り用意されていた物語の結末

60年以上にわたり、作られてきた物語も、ダーガーの施設入りで終焉を迎えます。彼は施設に入る前に、2通りの結末を、物語に用意しました。

  1. アビエニアはグランデリニアを倒し、ヴィヴィアン・ガールズは幸せな日々を送る。
  2. 戦争は終わらず、ヴィヴィアン・ガールズはグランデリニアと戦い続ける。
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どちらの結末も製本されていないので、どちらをダーガーが結末として選ぼうとしていたかは、もう知る由がありません。

 『非現実の王国で』の続編も作られていた

更にダーガーは『非現実の王国で』の続編となる『クレイジーハウス:シカゴでのさらなる冒険(Crazy House: Further Adventures in Chicago)』も製作していました。この作品も16冊、10000ページ以上の大作。またこの作品では、舞台は前作の様な架空の世界ではなく、シカゴとなっています。登場するのは前作の主要キャラクター、ヴィヴィアン・ガールズの7人の姉妹とその仲間、秘密の兄弟、ペンロッド。物語は、悪魔や幽霊に取りつかれた家で子供が姿を消し、後に残酷に殺害された事件から始まります。そしてヴィヴィアン達とペンロッドは、殺人が邪悪な幽霊の仕業であるかどうか調査し、事件に立ち向かって行きます。しかし、こちらの作品は未完のまま。

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発見者ラーナーの活躍

そもそも、ダーガーの作品を見つけたのが、ラーナーの様な人物でなければ、彼の作品は世間に出てくることは無かったかもしれません。普通の大家なら、身寄りの無い下宿人が残したゴミの中から手製の作品を見つけても、捨ててしまうかもしれませんよね。しかしそんな代物に芸術的価値を見出したのは、ラーナーの芸術を見る確かな眼でした。ラーナーはシカゴ・バウハウス派の写真家で、優秀な工業デザイナー。第二次世界大戦中には、海軍で照明やカモフラージュの監修し、戦後は家具や日用品、玩具をデザイン。イリノイ工科大学でデザインの教師も務めました。

ダーガーの遺作の発見者となった彼は、作品と部屋を4半世紀にわたって保存。亡くなる1997年まで、美術関係者や研究者を招いては、ダーガーの作品を広め続けました。彼の行動により、作品が人々に広まり始めると、ダーガーの作品は世界中の人々から称賛される様になったのです。そして2001年には、全著作と挿絵26点の収蔵に伴い、アメリカン・フォーク・アート美術館に『ヘンリー・ダーガー・スタディー・センター』が開設。2012年には、ニューヨーク近代美術館と、パリ市立近代美術館に作品が所蔵。残念ながら、ダーガーの部屋は2000年に取り壊されました。

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彼は、生前のダーガーを気にかけてもいてくれましたね。ラーナーと妻のキヨコが飼っていたユキという犬も、ダーガーの心の癒しになっていたそうです。また、ラーナー夫妻がダーガーの誕生日パーティーを開いた際には、ダーガーは喜び、歌を披露したそう。その歌はなかなか上手だったと、後にラーナーは語っています。

ダーガー自身の物語

ダーガーは架空の物語の他にも、約5000ページに及ぶ自伝『The History of My Life』も書いていました。その名の通り、最初の部分はダーガーの自伝的な内容が綴られています。しかし、200ページを過ぎる頃には『スウィーティーパイ(Sweetie Pie)』という名の巨大竜巻に関する創作話へ変わっています。

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また彼は、天気予報士が天気を外した事に憤りを感じ、10年間天気予報と天候を記録していました。加えて日記もつけており、79歳の時には『私の人生で良いクリスマスなんて一度もなかった(Never had a good Christmas in all my life)』と綴っていた。

 ダーガーの部屋

彼が作品を作り上げた場所は、6畳ほどの小さな世界でした。そこにあるのは、旧式のタイプライターや蓄音器、沢山のレコード。十字架、壊れたおもちゃ、テープで張り合わせた眼鏡、左右不揃いの靴、子供用のお絵描きセット…。新聞や雑誌の束は天井に届くほど積み上げられ、床には消化薬の空ビンが転がっていたそうです。そして壁に貼られた大量の切り抜き。

©︎2014 Messy Nessy

部屋には、キッチンもベッドも無いとされていましたが、実際にはベッドはあったそう。しかし、そこには大量の資料が積まれ、寝るスペースは皆無。彼は主に作業机か、椅子で眠っていた様です。

 ダーガーの唯一の友人

ダーガーの唯一の友人は、ネグレクト・チルドレンだったウィリアム・シュローダー。彼とダーガーは文通の中で、被虐待児を愛のある家庭へ養子として紹介する「子どもの保護協会」の創設も考えていましたが、実現することはありませんでした。1930年代にシュローダーはシカゴを去りますが、1959年にシュローダーが死去するまで、2人は文通でやりとりを続けました。

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2人は恋愛関係だったのでは無いか、と専門家達は憶測しているそうです。シュローダーは自らも育児放棄された過去を持っていた為、孤児や被虐待児を助けようというガーダーに賛同し、惹かれたのかもしれませんね。また、作品の中にはシュローダーと思わしき人物も登場します。

 ダーガーの墓標

そして彼の墓は、アメリカのイリノイ州にあるオール・セインツ墓地にあります。

墓標として「芸術家」そして「子供の守護者」と彫られていますね。作中に子供を救う役として、自らを登場させたり、被虐待児を救う案を考えたりしていた彼にふさわしい墓標です。

おわりに ダーガーの類稀なる思想

ダーガーは世間から孤立し、望まない孤高を手に入れた芸術家でした。しかし、彼の持つもう1つの世界は、彼の現実世界と交差しながら、鮮やかに存在し続け他のです。

君は信じるだろうか。大抵の子供達と違い、私は大人になる日を決して迎えたくなかった。
大人になりたいと思ったことは一度もない。いつも年若いままでいたかった。
今や私は成人し、年老いた脚の悪い男だ。いまいましくも。

ヘンリー・ダーガー『私の人生の歴史』

彼は自身の自伝の中に、こんな言葉を残しました。彼が自ら作り上げた「ヴィヴィアン・ガールズ」を、歳を取らない設定にしていたのも納得の思想。彼は心優しい父親以外に、理想的な大人に出会わない幼少期を送り、この様な思想を抱いたのでは無いかと、私は勝手に思っています。

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彼は心優しい父親以外に、理想的な大人に出会わない幼少期を送り、この様な思想を抱いたのでは無いか、と私は勝手に思っています。子供を虐げる大人、そんな大人像が彼の作品には色濃く反映されている様に思えるのです。

そして今や、壊れた膝のせいで、長い絵の上に、描くために両足で立つこともとても難しい。

それでも私は挑み、痛みがやってくると座り、また挑む。

ヘンリー・ダーガー『私の人生の歴史』
FlatSurfaceより

彼の作品に対する情熱は凄まじいものだったに違いないと、私は感じています。自分のためだけの世界、王国、清らかな少女達。現実逃避だったとしても、それを言葉や絵にする情熱と力が彼にはあった。孤独な彼の作品が、今や世界中の人に愛される作品へと変わり、彼が生前求めていたであろう世界とのつながりが、凄まじい大きさで存在し始めたのです。物語の本当の結末は、彼が抱えたまま旅立ってしまいましたが、歴史に刻まれ、未来永劫語り継がれることになった彼の人生の結末は、彼の求めていた永遠の様なものに近いかもしれませんね。

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