今回ご紹介するのは、2020年5月1日よりNetflixで配信中の「ハーフオブイット:面白いのはこれから」です。その名の通り、自分の片割れ、心の通じる誰かとの出会いを描いた物語。文学的、そして哲学的でもある知的な空気の中に、葛藤や切なさを抱えた人間らしい愛があります。

Story
主人公は頭脳明晰な高校生、エリー。彼女は、母を早くに亡くし、アメリカの田舎街スクアヘミッシュで、駅長の父と2人で暮らしている、中国系アメリカ人。そんな彼女は優秀な頭脳を活かし、学校でレポート代筆をして小遣い稼ぎをしていました。そこへ同級生のポールがラブレターの代筆を依頼。送る相手は学校一の美女、アスター。しかし、エリーにとって彼女は、他の人とは違う何かを感じる唯一の相手で、密かな恋心を抱いていました。そして初めは代筆を断りますが、金銭苦から渋々引き受けることに。こうしてポール、エリー、そしてアスターの不思議な三角関係が生まれます。ポールを通してやり取りをするエリーとアスターは、次第に互いの美しい思想や言葉に惹かれ、互いを理解者だと感じ始めます。
Cast
16年ぶりに映画界に舞い戻ったアリス・ウー監督
この作品のメガホンを取ったのは、アリス・ウー監督が映画界に舞い戻ったのは16年ぶりの事。彼女は2004年に『素顔の私を見つめて...』で監督デビュー。同性愛者である事を隠す女性と、若い男性との子供を妊った彼女の母親が、苦悩しながらも共に人生を歩む感動作を世に送り出しました。しかしその後、母親の看病のためにこの業界を去ります。

彼女はスタンフォード大学でコンピューターサイエンスの博士号を取り、マイクロソフトでエンジニアとして働いていました。そして、兼ね備えていた文才を活かし、小説の執筆も開始。自分の作品が脚本になるかもしれない、と感じた彼女は、ワシントン大学で作劇を一から勉強。そしてエンジニアとしてのキャリアを捨て、映画界にやって来たのです。そんな一風変わった経歴の持ち主である彼女が、映画界復帰までの道のりをこう語りました。
私は業界を去り、サンフランシスコに越しました。映画を作る事はもう無いと思っていました。そして家族を養う必要があったので、物件を購入しました。ただ、しっかりと家族の面倒を見たかったのです。それから数年後、母の体調が回復しました。加えて、神が訪れた瞬間の様な出来事が起こったのです。通りを歩いていたら、まさにそれが起こりました。神が存在するかどうかは分かりませんが、最終的に思う事は、宇宙に大きな秩序があると信じたい、と言う事です。私は私らしい事をする私でありたい。もし大きな宇宙があるのならば、私の人生の役割が、誰かの優秀な娘であったり、誰かの完璧な彼女である事だ、とそれが示すとは思えません。なので私はアメリカに暮らし、あらゆる事に挑戦できてラッキーでした。そして不思議と執筆を始めると、筆が止まらなくなったのです。この様にして、私はおそらく宇宙の秩序は存在する、と思う様になりました。執筆を始めた最初の月に、どこからともなく、一緒に働いてみたいと思っていてスタジオ勤めの友人から「まだ執筆活動してる?あなたにピッタリな仕事があるんだけど」と連絡が来ました。そして私は「すごく不思議、まさに先月始めたところ」と答えました。すると彼女は「私、今ドリームワークスで働いてるんだけど、上司に売り込んでみる?」と勧めてくれて、私は仕事を獲得しました。とても楽しい仕事で、それが私の意欲を取り戻してくれたのです。ーDEADLINEより引用
ウー監督の心地良い引用とオマージュの冒頭
この作品には、文学や思想からのオマージュが多々見受けられ、それはキャラクター達の機微を伝えてくれる素晴らしい演出となっています。まず、映画はプラトンの「饗宴」から始まります。
”Love is simply the name for the desire and pursuit of the whole.”
”愛とは完全性に対する欲望と追求である”
そして、紹介される古代ギリシャ神話は「人間には4本の手足と2つの顔があった。完璧すぎて、神は人間の力を恐れ、体を2つに引き裂いた。自分の半身に出会うと本能で分かる」と、人は自分の片割れに出会い、完璧になる事が幸福だと説きます。しかしエリーは「神に関係なく人間は厄介だ」と一蹴。彼女は片割れを探す事や完璧な愛に対し、カミュの不条理論「人生は理不尽で無意味」を持ち出して、彼女独自の理論を展開していきます。

カミュは、不条理を受け入れ、明晰な意識で見つめる事が生きる価値だとしていますね。
エリーの日常
彼女は緑溢れる田舎道を、毎朝自転車で通学。追い越して行くトラックに乗った同じ学校の生徒が、彼女をからかう場面は、マジョリティの差別的態度を感じさせます。そして彼女が小遣い稼ぎに行っているレポートの代筆業は、クラスの人気者達、スクールカースト上位の生徒が利用。しかし、そんな彼らはまるでエリーの事が見えていないよう。

エリーが唯一気になるのは、学校の美女アスター。アスターは読書が好きで、美しい歌声を持っています。彼女の他の人とは違う感性に、エリーは惹かれていきます。

このシーンでは、合唱でアスターが歌っています。彼女以外の声がぼんやりと消え、彼女の声だけがはっきりと聴こえる演出が印象的。曲はJohn Denver の『Annie’s Son』です。

まるで、アスターを熱心に見つめるエリーだけが耳にしている歌声のようで、とても素敵。
サルトルの説く「出口なし」
そして、シニアイヤーのエリー達は、学校から学芸会の参加を義務付けられました。そのシーンの後に、サルトルの『出口なし』より言葉が引用されます。
“Hell is other people.”
“地獄とは他人である”
これは、人間は他人の目で価値や存在理由を測る生き物であり、人生には他人の評価が付き纏う。他人から自分がどんな人間か決めつけられ続け、他人から測られることからは永久に逃れる事ができない、という思想。

学芸会でも同じ事が言えますよね。多くの生徒達の前に立ち、決めつけられ、評価される。エリーの憂鬱な表情にも納得です…。

「出口なし」は、死後地獄に落ちた3人の男女が1つに部屋に閉じ込められる、というストーリー。死後も他者から測られ続ける地獄が描かれています。あるシーンで、閉じ込められていた部屋の扉が開くのですが、いざ扉が開くと、3人とも部屋を出ようとしません。未知の外、自分を測る他人がいない世界が恐ろしくて出られないのかもしれません。エリーも先生から街の外の大学を勧められるも、地元の大学に行くと言い、街を出ようとしません。アスターも絵の道を諦め、ポールも家族のために街に留まる…、スクアヘミッシュ以外の街を知らず、外の世界へも行こうとしない彼らと「出口なし」の3人の状況が重なって見えます。
ポールとの出会い
そんな時、エリーはアメフト部のポールからラブレターの代筆を頼まれます。お相手はエリーも思いを寄せるアスター。もちろんエリーは代筆を断ります。

その晩、エリーの父エドウィンが、観ていた『カサブランカ』のセリフを呟きます。
“I think this is the beginning of a beautiful friendship.”
“美しい友情の始まりだな”
これから始まるポールとエリーの素晴らしい友情を、暗示しているかのようなセリフです。
不思議な三角関係の始まり
一度断った代筆ですが、延滞していた電気代を支払うため、エリーは渋々引き受けることに。そして代筆を引き受ける直前に、廊下で荷物を落としたエリーをアスターが助けるシーンが挟まります。これが2人の初めて交わした会話。アスターの父は牧師で、その礼拝でオルガンを演奏しているエリーの事を、アスターは知っていました。「日の名残り、私も好き。感情を抑えた主人公の描写がいい。」とアスターはエリーの持っていた本を見て言います。

『日の名残り』は、語り手である主人公の執事が、恋する事や、考えを言葉にすることを自らに禁じていました。その姿は、エスターへの思いや、優秀な知性を隠しているエリーと重なるよう。

エリーとアスターの不思議なやり取り
そしてエリーは、支離滅裂なポールのラブレターを添削していきます。何故アスターが好きなのかエリーに問われたポールは、「彼女は美しいし、彼女の事ばかりを考えるからだ」と答えます。しかしエリーは「強情なだけ、愛じゃない」と一蹴。負けじとポールは「愛だよ、愛は人を変にする」と言います。

ポールは作中で、自分なりの愛を不器用ながらもよく語っている様に思えます。分からないながらも、懸命に言葉を探す姿が印象的。
そして早速ラブレターの執筆に取り掛かるエリーですが、恋愛経験の無い彼女は、愛の言葉に行き詰ります。そして、エドウィンの観ていたヴィム・ヴェンダース監督の『ベルリン 天使の詩』から思わず、セリフを盗用するのです。
“渇望している、愛の波に満たされるのを。”

そして、詩人であるオスカー・ワイルドの言葉が引用され、シーンは流れていきます。
“In love, one always starts by deceiving oneself…and ends by deceiving others.”
“自分を欺いて始まり、他人を欺いて終わる。それが恋愛だ。”
エリーはまさに、自分の恋心を押し殺して代筆をし、ポールはエリーの言葉で自分を偽る。自分と他人を欺くこの状況は、ワイルドの言葉と重なっているように思えます。そして、すぐに届いたアスターからの返事は、セリフの盗用をしっかり指摘。アスターの自分と似た教養の深さに心打たれながら、エリーは「アスター覚悟して、試合開始よ」と代筆への火が付くのです。
お互いに心地良く届く言葉
エリーとアスターは、ポールを通してやり取りを重ねます。

アスターへ
君の勝ちだ。他人の言葉を時に引用してる。愛について俺は何も知らない。この町から出たこともない。友達とよく遊ぶ、モメ事とは無縁、単純な男だ。だから愛を知っていれば自分の言葉で語ってた。
エリーは持ち前の観察力でポールの人柄を手紙に落とし込んでいきます。

ポールへ
あくびには11の筋肉が必要。この奇妙なな事実を思い出して我慢するの、あくびをね。感情表現も自制できる。私も他人の言葉に頼ってるわ。美人だと、自惚れた言い方だけど、だから手紙をくれたのよね。美人だと人が物をくれる。私に好かれるため、と言うよりむしろ自分と同化させるため。私はみんなと同じ、つまり誰でもない。
返事にはどんどんアスターの心の内が溶け出していき、アスターは絵の道を諦めた事を手紙に綴りました。

昔絵の先生が言ってた「いい絵とすごい絵の違いは5つの筆触に表れる」その絵の中で特に大胆な筆触。問題はどれがその筆触かってこと

分かるよ、苦労の末いい絵が描けたのに、大胆な筆触を加えた事で全てが…

台無しに。だから絵をやめたの。私は常に何かを諦めてるのかも…でもいい人生よ。この町で一番恵まれているかも。
そしてエリーは、ある場所を示す緯度を書いた返事をアスターへ送ります。アスターがそこへ行ってみると、壁に「5つの筆触を残そう」の文字とスプレー缶が。

アスターとエリーは互いに筆触を残し、絵を作り上げていきます。
「君の大胆な筆触はこの程度?」
「これでどう?」
「抽象芸術の誕生だ。」

やがて2人の筆触は美しい絵となります。「さらに成長した。」

そして絵は、近くの店のオーナーによって消され、エリーの「美しいものはいつか滅びる。」という真理的な一言で、抽象的な会話は終わりました。

この後のアスターが授業を受けているシーンで、三角形の説明を先生がしています。「3つの角を持つ多角形だ。角をを1つ取るとただの角度に。」…なんだか3人の関係と重なるちょっとした描写みたい。
アスターとの初デート
一方ポールは、手紙のやり取りに痺れを切らし、ついにアスターにメールを送ってしまいます。エリーは機転をきかし、匿名のチャットアプリでのやり取りを提案。そして2人はなんとか、アスターとの初デートに漕ぎ着けました。

しかし、デートは散々な結果。会話も弾まず、気まずい空気になってしまいました。しかしポールはアスターを諦めず、望み薄だど諦め気味のエリーに「誰かのために努力するのが愛だろ。」と言います。そして2人は、3週間後に2度目のデートを計画し、アスターのために猛勉強を開始。
ポールの猛勉強
エリーはポールに、アスターの好みの作品『フィラデルフィア物語』や『出口なし』などの思想や哲学を教え込みます。その他にも、アスターの趣味や彼氏の偵察も開始。

そんなある日、ポールは何気なく「君は賢いのになんでこの町にいるんだ?」と質問。それはエリーにとって、一番悲しい質問です。エリーは感情的になり、思わず帰ろうとします。するとポールは「俺も”出口なし”だ!本当は自分の店を開きたい。でも俺は四男で、家族は店を49年やってる。俺が町を出たら母さんが傷つく。だから残る」と素直に自分の感情をさらけ出しました。そんな彼にエリーは、自分と重なる部分を見つけ、心を開き始めるのです。そして博士号を持つ父が、エンジニアを目指しアメリカに来たものの、英語で挫折した事、通過点だったはずのこの町に留まることになった事、をポールに話しました。


このシーンは、2人の絆が深まった瞬間ですね。その後、エリーの家で2人は夕飯を食べるのですが、エリーとエドウィンに挟まれて、チャップリンの『街の灯』を楽しそうに見るポールが可愛い!素直で人懐っこい人柄がよく表れてる。
ポールの会話練習
エリーは口下手なポールがテンポ良く会話できる様、卓球を使った会話練習を開始。「エネルギーを合わせてひと言で答える。」そうして2人はお互いの事をより知っていきます。そこでポールに母親の事を聞かれたエリーは「若くて面白くて楽しい人」と答えました。

エリーにアスターのどこが好きかと尋ねられたポールは「美人で賢い。それにいつも優しい。新鮮な小麦粉の匂いがする」と答えました。そして他の魅力として、エリーが詩的な言葉を溢します。
「あなたを見つめる目つき、それに…読書中に髪に触る癖。あと笑いをこらえきれなくて完璧じゃなくなるところ、ほんの一瞬だけど。5種類は違う声を出せる。彼女の思考の海に身を任せ、理解されていると感じる…。」
そんなエリーのアスターへの美しい言葉に、「俺ってバカだな。」とポールは惨めそうに呟きます。しかしエリーは「あなたは誰よりも努力してる、愛する女性のために。努力するのが愛じゃないなら…何が愛なの?」と、ポールに言いました。

とても慎重に言葉を選ぶエリーの姿は、ポールを友人として大切に思っているように見えました。
正反対のエリーとポール
ポールはある晩、エリーとエドウィンにお手製のタコス・ソーセージを振る舞います。そこで流れていた映画の別れのシーンで、列車に乗って去り行くヒロインを男性が追いかけていました。それを見てエリーは「陳腐でバカ丸出し」と冷ややかな態度。一方ポールは「素敵だ」と感動。とても魂の片割れ同士には見えない2人のやり取りですが、その関係はとても心地良さそう。


趣味や思考の一致が良い関係性の全てでは無い、と感じられるシーンですね。ヤクルトがよく出てくるのでなんだか飲みたくなってきた…。
そんなある晩、ポールは店の手伝いをしながら、窓からこぼれるエリーの歌声を耳にします。エリーは音楽の才能も豊かで、ピアノやオルガン、ギターの弾き語りもできるのです。

ポールとアスターの関係の進展
いよいよポールは、アスターとの2度目のデートへ。そして今回は、エリーのアドバイスを受けず、自分でぶつかろうと試みるのです。しかしまたもや会話は弾まず…。それを見ていたエリーはたまらずチャットで助け舟を出します。しかしポールは立ち上がり、アスターに「友達としてではなく君が好きだ!」とアスターに告白。

失敗するかと思いきや、エリーの助け舟もあったせいか2人は良い雰囲気に。
2人の友情とアスター
それから学校では学芸会が開催されます。緊張気味のエリーに「教会で演奏してるじゃないか」と言うポール。するとエリーは「影でね。舞台で1人は初めて」と呟きます。エリーは音楽や文学の才能がとても豊かなのに、代筆や影の演奏者として表舞台には立つことがありませんでした。そして学芸会当日、事件が発生。男子学生達は嫌がらせで、エリーが弾く予定のピアノを壊し、彼女の出番を潰そうとしたのです。舞台でそれに気付いたエリーは困り果てますが、そこへポールが1本のギターを渡し「君の曲を。」と、前に偶然聴いたエリーの自作曲の演奏を促しました。

やっと辿り着いた 長い道のりだった 随分遠くまで来た 眠りに落ちた私 旅の途中で あなたの肩にもたれて眠った 無事であります様に 夜は人を苦しめ混乱させるから 私達は道に迷う 導いてもらうために
エリーの繊細で優しい、祈りの様な歌声が響き渡ります。すると生徒達は、暖かい歓声を送ったのです。エリーは初めて認められた様な気持ちになりました。そして掌を返した様に二次会に誘われ、楽しい一時を過ごしますが、慣れない飲酒で酔い潰れてしまいます。ポールはそんなエリーを見かねて連れ帰り、自室に泊めます。するとエリーの鞄から、ポールのタコスを新聞会社や評論家に売り込むための、手紙の束が。ポールは眠るエリーを優しい眼差しで見つめました。

エリーとポールの間に、お互いの人生を変える様な素晴らしい友情がいつの間にか生まれていたのだ、と感動しました。

翌朝、1人で目覚めたエリーは瞬時に状況を把握して、帰る準備をしますが、ポールに会いに来たアスターと鉢合わせしてしまいます。

本を渡しに来ただけだ、とちょっと苦しい嘘をつきながらも、クールな態度を保つエリーが可愛いシーン!

アスターは旅先で描いた絵をポールに渡しに来たのです。アスターの絵を見てエリーは「この筆触がいい。孤独だけど、希望がある。」とアスターの絵に込めたイメージを的確に読み取り、アスターは驚きます。そして帰ろうとするエリーに、1日暇があるからついて行くと言い出し、予期せぬエリーとアスターの2人の時間が始まります。

ようやく出会えた理解者
そしてアスターはエリーを車に乗せて、アスターだけの秘密の場所へと連れて行きます。車を走らせるアスターと、景色を眺めるエリー。言葉を交わさずとも心地良い空気が流れます。

この時車でかかっている音楽はSharon Van Ettenの 『Seventeen』です。
I know what you wanna say, I think that you’re all the same, Constantly being led astray, You think you know something you don’t, Downtown hotspot halfway up the street
あなたが何を言いたいのか分かる 私達すごく似てる いつも間違った方へ導かれる あなたは知らないことも知ってると思っている ダウンタウンの途中に素敵な場所がある
その歌詞は、まるでエリーとアスターの関係性を歌っているかのよう。2人で素敵な場所に向かう、この状況にもピッタリです。そして辿り着いたアスターの秘密の場所は、山奥にある温泉。静かで電波も届かず寛げる、と言うアスターに戸惑いながら温泉に浸かるエリー。

しかし、言葉を交わすうちに2人はすっかり打ち解けます。空気は和らぎ、交わす言葉も滑らかに。そしてアスターは彼であるトリッグとの結婚に迷いを見せます。「彼には迷いがない。それが愛なのかも。」アスターもまたエリーの様に、愛が何か分からず迷っていました。そして神に兆しを求めた時、ポールからの手紙が来たと言います。「初めて出会えたと思った、理解者に。」アスターもエリーを理解者だと感じていたのです。

エリーはアスターと、水面に心地良く浮かびながらこう呟きます。
“Gravity is matter’s response to loneliness.”
“重力は孤独への物質的な反応。“

とても印象的な言葉。神を信じないエリーは、時に孤独だと言いました。そして私は、1人坂道を必死に自転車で登るアリーの姿を思い出しました。1人で重力を感じながら進む。片や、そんな坂道を物ともせず、走り去る賑やかなトラック…。孤独と重力の関係性を考えさせられました。重たい荷も数人で持てば軽いですが、1人で持てば重いまま。もしかしたら、ポールと並走した道では、彼女は重たい重力を感じなかったのかも。今浮かんでいるこの温泉も、アスターと来なければ辿り着けなかった場所です。こうして彼女は今、理解者であるアスターと暫し重力を忘れ、水面に浮かんでいる。これは私の深読みによる願望に過ぎませんが…私はこの言葉にそんな思いを感じました。
拗れてしまった三角関係
そしてポールの試合当日、会場にはアスターとエリーが見に来ていました。そして事件が発生。ポールは試合後に、エリーにキスをしようとしたのです。驚いてエリーはポールを突き放しますが、その場面をアスターに見られてしまいました。懸命に「違う!」と言うエリーの様子を見て、ポールはエリーもアスターに恋をしていると気が付きます。するとポールは「大罪だ…地獄に落ちる。」と呟きました。

彼の知る愛の形は、まだ1つ。カトリックの家系ですしね…。

エリーとの関係に心地良さを抱いていたからか…。試合の時も心なしか、アスターよりもエリーを見つけた時の方が、ポールの表情は安心して明るいものだった気がします。安心感と信頼感が高まり、友情と恋愛感情の間に、ポールは辿り着いたのかもしれませんね。
3人それぞれの愛の言葉
ここでまたしても「地獄とは他人である。」と言うサルトルの言葉が引用されます。それは、ポールに罪人だと決めつけられてしまった、エリーの心境と重なるよう。拗れた三角関係を前に、3人は暫し関わりもせず放心状態。そんな中、ポールはエリーの父エドウィンに、肉を配達。エドウィンはエリーが悲しそうだ、とポールに言いました。そして「彼女にはありのままでいてほしいと願う。」と続けます。ポールは悲しげですが、しっかりとその言葉を受け取ったようです。

英語の苦手なエドウィンは、中国語で思いの丈を語るのですが、ポールはそれをしっかりと聞きます。言葉が分からずとも、言っていることがきっと伝わったのでしょう。

そしてある日の礼拝で、トリッグはアスターにプロポーズをしました。アスターは、迷いながらも、結婚を受け入れようとします。エリーは思わず立ち上がり「ダメ!」と叫びました。

そしてエリーが言葉に詰まっていると、今度はポールが立ち上がり、愛について語りました。
「愛は偽らない、俺には分かる。偽っていたから。数ヶ月だけど辛い事だ。一生ずっと他人を演じる。愛は1つだと思っていた。愛し方は1つだと。でも違った。色んな愛がある。だから…常識を押し付けたくない。ありのままを愛したい」

ポールの言葉に胸を打たれるエリー。確かにこれは、異なる愛の形を学んだポールからの、エリーへの言葉だったように思えます。恋愛感情と言うよりは、親友や家族に抱くような愛なのかもしれません。そしてアリーは言葉を続けます。
「私も偽ってた。嘘をついてた。愛は寛大でも親切でも謙虚でも無い。愛は厄介、おぞましくて利己的。それに…大胆。完璧な片割れを見つける事じゃ無い。愛とは努力する事、手を伸ばし、失敗する事。愛とは…良い絵を台無しにする事、すごい絵を描くために。大胆な筆触ってこの程度?」
エリーの表現した愛の中には、ポールからの影響も強く感じられますね。行動し、経験する事で得られる感情が、彼女の中に芽生えたのです。

ポールとエリーは、互いの感情に大きく影響し合っていたのだと、私は深く感動しました。

「あなたね。」その言葉で、アスターはやりとりしていた相手がエリーだと知ります。そしてアスターはポールにビンタをして、教会を出て行ってしまいました。

この映画のすごい所は、深刻なシーンでも空気が重くなり過ぎない所。それがかえってリアルな人間味を感じさせます。3人のシリアスなシーンの後にコミカルにざわつく人々、案外現実ってそんなもの。
3人の分岐点
エリーは父の後押しもあり、グリネル大学に行くことに。そして町を発つ前日、アスターに会いに行きました。すると彼女は、美術学校に提出する作品を制作していると言います。諦めた絵の道に、再び挑戦し始めたのです。まだ怒っているアスターにエリーは「傷つけるつもりはなかった」と謝罪。するとアスターは「心のどこかで気付いてた。だから、違う形なら良かった。それか違う私なら…」と呟きます。

そんなアスターにエリーは「変われるわけ無い」と言います。エリーはそんな彼女だから好きになったのでしょう。するとアスターは「いいから見てなさい!数年以内に変われるって確信を持ってる!」と少しむきになって言いました。そして笑い合う2人。エリーもアスターも誰かと出会い、こんな風に変わっていくのかも。「信じられるものを見つけてね」とアスターは微笑みます。するとエリーは去り際に、アスターにキスをし「数年後に会おう」と素敵な約束を残しました。

そして翌日、エリーはポールとエドウィンの見送りの中、駅にいました。寂しげなポールにエリーは「弱虫!」とからかいます。そして彼女は初めての絵文字をポールへ送りました。
「🍍🦉🐛」
この絵文字、パイナップルは富や友情、梟は知性、芋虫は革命や変化を意味するようです。この物語のシンボルとなっているのかもしれませんね。

ポールの店も記事に載り、順調な様子。寂しいですが、それぞれの道を歩み始めた清々しい場面にも見えました。エリーは笑顔で列車に乗り込みます。

通過点だったはずの町で、ずっと見送るだけだった列車に乗るエリーに、なんだかジーンとしてしまいました。

列車が走り出すと、ポールはエリーが「バカ丸出しだ」と一蹴していた行動を取ります。

列車を追いかけるポールに「何してるの!」と驚くエリー。そして列車に引き離され、やがて見えなくなったポールの姿に「バカね…」と呟き静かに涙したのです。あれだけ嫌っていた映画のラストシーンと同じシチュエーションでしたが、エリーの心は確かに動きました。これが素直で心優しいポールの愛の形です。


ポールとエリーはお互いによって、愛や友情に対する感情が変わったように思えます。本や哲学や思想の外にも、愛の形は山ほど存在する。実際にその状況を経験し、大切な友人ができ、知ることのできたかけがえのないものですね。

列車を見渡すと、たくさんの乗客が思い思いに寛いでいます。これから出会う様々な異なる世界や、思想を暗示しているように思えました。3人は『出口なし』とは違う結末を選んだのです。互いに出会い、そして開いた扉の先に歩を進めた。この先に広がる未知の世界が落とし込まれた、そんなシーンなのかもしれません。

ちなみにウー監督は、エリーとアスターの名前にも意味を持たせたそう。エリーは「光り輝く者」、アスターは「星の形をしたデイジーの花」を意味します。花は太陽がなければ育たない様に、アスターはエリーによって、彼女の望む人生を歩み始め、彼女らしさを取り戻す。そんなとても美しい意味が込められています。
おわりに
いかがでしたか?この作品はいろんな愛の形、そして人と出会い、変わりゆく素晴らしい感情が描かれた爽やかな傑作です。そして、シリアスで答えのない難しい題材を、ユーモア溢れるコミカルなタッチで描いたウー監督には只々圧巻です。引用されるたくさんの美しい文学や思想たちに心地良く導かれ、私もまた新しい世界に出会えた様な気がします。私にとって、そんな大切で愛おしい作品になりました。きっと観た人の新しい扉を開き、導いてくれます。是非、彼らの様々な愛の言葉に触れてみてくださいね。

コメント